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Credo 守るべき理念〈大切にする信条〉
時代に風化されない、
いつどこから見ていても飽きない
『端正で正当な建築』
一つの建物を設計する際に、その土地の空間軸と時間軸の調和を考えることは重要です。
ある程度の規模を持つ建築の周辺へのインパクトは景観に一つしても大きく、いかに馴染むか、逆に周りが将来あわせてくれるような雰囲気を持たせるにはどのようにしたらいいのか模索しながら一つ一つの建物と向き合っています。
スペシャリストが圧倒的に多い業界の中でゼネラリストを志向し「地域の町医者」といった地元密着型の路線は決して崩さない渡辺設計。
私達にしか出来ない方法で業界に小さい変革を起こしていきます。
私たちの5つのこだわり
建物への限りない愛情
“既製の概念を越えた
サプライズのステージを提供できるか”
大切にしているのはアイデンティティとカスタマーズオリエンティッドの精神。
時代に風化されない端正さ・正当さをもって機能と美しさの両立を図ります。
設計とは究極のサービス業です。私たちにしか出来ない柔軟性をもったサービスで、
数々のストーリーに触れていただければ幸いです。

実績紹介

各種事業施設に合わせた設計を行っています。
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プロジェクト紹介

コンペティションで選定されたプロジェクトの一部をご紹介。
story-01
「安城織物サンテラスビル」・・・『イメージの具現化力』
The way to produce a concept
  • ステイタスを持つランドマークとしての役割

    スカイラインが構成されるシルエットなど与条件としての課題

    【建物単体ではなくてまちなみの景観を考える、ということ】


    建物には各々テイストがある中でフラットでシンプルな表情を見せるものがあれば、スカルプチュアとも言える彫刻的な表情を見せる場合もある。

    地元を代表する名士である今回のクライアント様はかつて織物業を営まれ、その役割を終えようとする時にその経営資源とも呼ぶべき資産を元に今ではディベロッパーとして戦略的に展開されていました。
    西三河の玄関口とも呼ぶべき三河安城新幹線駅の至近距離にも既に駐車場ビルからホテル棟を複数、他にもオフィス棟を計画的に進め、最後のピースとなる残余地に満を持して大型ビルを今回計画することを決断された次第です。


    元より、総合的な「街づくり」と言うものを視野に入れ中長期ビジョンで構想を練っておられた施主様としてはどうしても建物群としてのまとまりを大切にされていました。
    この街区に20年前に建設された他社設計の手に依るオフィス棟は当時で言えばとても他を寄せ付けない様な威容を誇り、ランドマークたりうる存在感を輝かしく放って居たということになります。

  • コンセプトとしての「テラス」

    クライアントの想いを反映させること

    【これまでの歴史を積み重ねた上で新たなメッセージを発信すると言うこと】


    設計事務所は確固たるカラーを持っていて施主がそれを好んで採用する場合と、逆に施主様の希望にそのテイストを合わせて行くプロセスを取る場合がある。

    それは建物のスカイラインを揃えたり、プロポーションのバランスを取ったりと試行錯誤の中でのボリューム検討を積み重ねましたが根幹となるビルのコンセプトと言うものも並行して考慮することとなった訳です。


    ビルのファサードと呼ばれるものにはそれぞれの個性があることは当然でありながら、それを集合体としてひとつのまとまりを感じさせるもの、と言う命題は決して簡単なものではありません。
    まして、当該敷地を取り囲む建物に対しての調和を考えればなおさらのこととなります。
    そうした中で、関係者を囲んでのディスカッションを通してひとつのキーワード、それは施主様の社名を構成する「織物」と言うフレーズが自然に浮かんで来たのです。


    縦のラインと横のラインを織り成しながら、と言うか丁寧に編み込むようなプロセスを経て外観を構成してみましょう、と言うことになってからは俄然コンセプトの核(コア)がはっきりした感がありました。

  • 多くのパートナーとの連携

    西三河初の一団地認定総合設計制度

    【求められるマネージメント及びプロデュース能力】


    設計事務所は基本的にごく少人数で強い個性を持って進めている方が多い集団であり、弊社的には様々な案件でその特性に合ったパートナーとフォーメーションを組むのが特徴的と言えます。

    作業を進めて行く中で様々なハードルが生じる訳ですが、今回当該街区においける集大成の様なモノにしたいという施主様の強い気持ちのひとつとして、他の建物で使い切れなかった容積率などを利用出来る方策を考えて欲しいとの依頼がありました。
    これは簡単に言えば大きなまとまった土地における建物群を一体として設計する総合設計制度のひとつに「一団地認定」と言う手法が存在することは知りながらも行政側の担当者もこの地区では例を見ない投げ掛けに戸惑うばかり。


    しかし決まったタイトな工程の中で、NGとなるかどうかの瀬戸際を走りながら結果として何とか可能性の扉が開かれた時の達成感と言ったら筆舌にしがたいものがありました。
    その他にも、ある程度のボリュームになると法制限が段階的に厳しくなる中で様々な手段を用いて最終的な形態に持ち込めたのも私共の執念と言うよりは、その先を照らして下さる施主様に導かれたところが大きかったのでしょう、、、。
    と今ではそう振り返ることが出来ます。

  • 我々にしか出来ないもの

    費用対効果フィージビリティスタディ

    【時代を超えて大切にされるものへの果てしなき挑戦】


    使命は運命となりやがては天命となる。合うべき人に出会えることを〈しあわせ〉と呼びます、と言う歌詞がありました。
    自分たちが関われる中で常に新たなフロンティアを目指して頑張って行きたいと思っています。

    実質的な作業を受けてくれたパートナーもそう、意匠から構造なり設備に関しても数多くの関係者が今回の案件に関わって下さいました。
    施工チームに関しては施主様の強い意向を受けて、これまで関係を築いて来られた建設会社がスタート時点より参画しています。
    これは建設費高騰が叫ばれる昨今ではひとつの有力な手段であり、信頼関係が深い間柄であれば入札というプロセスを経るよりもずっとゼネコンの本質的なポテンシャルを引き出せる場合が多い様に感じます。
    そうこうしたオーケストラの様な編成団を動かすには強い熱意が必要であり、施主様のリーダシップも当然のように必要不可欠となってまいります。


    建物の着工を控えて胸に去来するものは、織り込んで編み込んだものは単なる建物の外観のみを指すものでなく、クランアントの考えを何とか形にしようとする多くの携わる人間の「想い」であったと気付かされたのでした。


story-02
「三河安城コミュニティ」物語・・・『ツボを突く多彩な提案力』
The way to win a competition
  • 熾烈なコンペティションへの誘い

    元より区画整理地内には市役所の補助金を利用して公民館(コミュニティセンター)を建設する仕組みが存在しますが、ここ地元安城市でも20年来都市化の波が押し寄せ様々に街が変わりつつあります。


    そこでの印象的なプロジェクトとして三河安城町及び三河安城本町のケースをひもときます。
    ここ三河安城と言う地区は新幹線の駅が平成4年に新設されるのに併せて、従来の田園地帯が急速に宅地化されて行ったと言う経緯を持っています。


    そこで設計者のコンペ、これはすべからず補助金事業ですから特命と言う選択は無く、最近の流行りと言えばそうなのですが設計者の選定を幾つかの事務所に提示させて地元の町内会の中で投票制で選ぶと言う手段を取ります。

  • その土地の記憶と街並みとの整合性

    建物と言うものは場所を変えて同じ様なものが成立しそうですが、多くの人に受け入れられるべき公民館の様な公益性のある用途は何よりも納得させられる何か、そう「サムシングエルス」が必要となります。


    今回のプロジェクトにおいては三河安城本町と三河安城町と言う隣り合わせた二つの町による合同コンペでしたが、建設される場所がかたや珍しい駅至近の都会的な立地である事に比して、もう一つは隣にまだ広大に拡がるのどかな田園地帯の雰囲気を残している立地でした。

    設計事務所と言う組織はそもそもそれぞれが得意とするテイストがあり、それを売りにする為になかなか色々なバリエーションを提示する事は難儀な事と言えますが、弊社の場合は特性を活かし個性を考えた上でスタッフをキャスティングして、大きな方向性だけ間違わない様に協議して進めるので意外や多彩な案が出て来たりするところは誇れる部分ではないかと自負しています。

  • 「コストマネージメント」を訴求

    幾ら見栄えが良くとも限られた予算の中に納められるか?それが最近は何をおいても求められる様に感じます。

    幸いにして事務所代表である自分がゼネコン勤務であったことも幸いしその知見を活かし予算をいかにまとめ切るか?と言うことに心を砕く事は何よりも大切な事と任じています。


    建物に託された思いは、デザインのみで無く、時には頑丈であって欲しい、メンテナンスにお金がかからない様にして欲しい、後で増築なり手を加え易くしておいて欲しいなど、様々なコストに絡む要請が上がって来ます。


    それをプライオリティ(優先順位)を間違えない様にしながら、予算立てしているファイナンスコントロールは建設会社と肩を並べて本来設計事務所がイニシアティブを取るべき大切な課題ではないでしょうか。


    それはもちろん、設計監理費用と呼ばれるものについても同様で、求められる業務メニューの内容と程度によって大きく異なって当然でありそれを分かりやすく提示することも義務ではないか?と最近感じる所であり、コンぺでは間違いなくそこをしっかりと丁寧に伝える努力をしてまいります。

  • コンペにおける戦いから得たもの

    結果、このコンペは運良く採択され随分と多くの方々との協議を経て、時間を掛けながらもほぼコンペの原案を残しながらにして無事竣工の運びとなりました。


    この業務の醍醐味は多くの方々の意見集約を行い、マネージしながら皆が納得する様なプロセスを経て、つまりビジュアルな資料などを都度用意するなど丁寧な合意形成を行う事です。


    今では老若男女多くの方々の拠り所となるこう言った施設は地域のお役に立てると言う事でとてもやり甲斐に満ちた案件と言えそうであり、いつの間にか振り返ると市内でも10箇所程度のコミュニティ案件で弊社が7件程度受託し、地元の設計士さんに依頼したケースを除けばほぼ手掛けさせて頂いた事となります。


    コンペと言うもので磨かれ、何をクライアントが望んでいるのか?と言うことに耳を傾け、神経を研ぎ澄ます事でどんな案件よりもスタッフを強くモティベートし弊社の貴重な体験になっている様な気がしています。


story-03
「碧南整形クリニック」物語・・・『熱意を持った牽引力』
The way to manage a team
  • ~難攻不落の医療業界~

    製薬会社「仕切り」の壁を越えるには?

    「さすがに出来レースこれは無理め筋の負け戦か?」
    市内で老舗歯科医の松本先生とは長らく懇意にさせて頂いており、今度その医師である息子さんが修行を終えて開業されると言うので新施設の設計コンペに参加して見ないか?との打診がある日突然届きました。
    嬉しいな、と思いながらもこの業界における医業への参画はとてつもなくハードルが高く専門性を売りにするスペシャリストが群雄割拠する世界であり、実は当初は白旗を挙げようとして居た訳です。
    でもこれも貴重なチャンス、頑張ってみようか、とふと魔がさしました(苦笑)。


    設計の世界は実績が何を置いてもモノをいう世界、、、逆に何かしらトライして扉を開けて行かなくては手に入る果実も見つからないと言う過酷な世界。弊社の現有勢力で難しいなら、何とかする方法は無いのだろうか?とはたと考えながら。
    昨今ではどんな用途の施設についても専門性が追求される事となり、スペシャリストをスタッフとして擁するべきか割り切ったゼネラリストへの道かを弊社も選択を迫られていた時期と言えます。


    医業になぞらえるなら、いわば内科医であったり外科医、産婦人科医などのセグメントに分類される様に、設計業界も住宅、店舗、工場、と言った様に特化されて行く傾向の中、弊社はかたくなまでに所謂「マチ医者」的なスタンスを堅持して来たと言えます。



    この考えは正解なのかどうなのか?そればかりは簡単に答えが出る様にも思えません。


    コンペ道中の大変さはいつものことでしたが、結果、家族会議の中で当方の案で進めたいとのサプライズな一報が。
    「(そう細かくは専門性を持たない)家内が、いたく御社の案にインスピレーションを感じたようだ。でも案として未熟であるから心して取り掛かってもらいたい!」とシャイな松本先生の一面が(苦笑)。
    いずれ今回のプロジェクトが、まさか想像を超えトンでもなく大変で、しかし反面トンでもない財産となる案件となる事はまだこの時点ではつゆ知らず、して。

  • ~パートナーシップの展開~

    これまでの多くのコラボ関係の成就

    ~時間との勝負である開業プロセスを円滑に進めるには、間を執る薬事商社の意向を踏まえてall-in-oneで委託する流れを全てのステップに置いて自らがイニシアチブを採ろうとする松本先生!
    さすが昔はやんちゃでも高校時代は陸上でインターハイにも進んだ俊才、ただのオツムが良いだけのお坊ちゃんとは一味違います。
    4社での設計コンペの中で、外観を含めた方向性に何かインスピレーションを感じて結果的に弊社をパートナーに選んで下さいました。
    そこには薬事商社の大反対があったのですがそれを押し切る熱いハートにこちらが萎縮する程だった事を思い出します。
    設計の本質とは揺るぎない機能性とコストバランスの両立であり、その基礎体力の様なものにはこれまで積んで来た自負 はあった為に改めてみなぎる何かを感じたものです。


    先生は呉越同舟ともなりうるそれぞれのメンバーに明確な役割とその意味を課して、チームとしてスクラムを組む事の大切さをまた、ご自分のこのプロジェクトへの覚悟をアツく、また冷静に、丁寧に説いて下さいました。
    たまたま歯科医である父親からの縁で派遣された薬事会社の若きエース格の方も、当初は非協力的にも見えたものの、いつの間にか強い求心力を持つ松本先生の熱意に奮い立たされたのでした。
    折しも、物件毎にタッグを組む市内の若き俊才岡田設計士は修行時代に医療関係施設の経験を積んでおり参加を打診して快諾された次第です。



    思い起こせば、これまでも身に余る案件に対峙する中でクライアントからの要請により様々なタッグを組む体験に恵まれて、そのような組織マネージメントの運用については耐性がいつの間にか出来ていました。
    トヨタ系企業で日建設計元理事の方が代表を務めるコンサルと組んだ経験も懐かしいものですが、別の大型ビルを計画する際にその方にこちらから総合監修的な指導をお願いに伺った事もありました。
    「異種交配」・・・大切にして居る言葉ですが自家撞着に陥ることなく絶えず外界とのせめぎ合いを経てこそ、その「種」は柔軟に、かつしたたかに生き残ることが出来るのはないかと信じています。

  • ~マネージメントの要諦を知る~

    共通する仕事術が如実に世の中にあるのでは?

    大学の研究職に就いて居た中で、いずれ(早く亡くなられた)母親の出身である碧南の地で(同じく営んでいた)医業を松本先生が開設する夢に待ったを掛けたのは他ならぬ京都大学IPS細胞研究所を司る山中伸弥教授と伺いました。
    当初は丁寧に固辞して居たものの最後には学長経由でのオファーに抗し切れず期限限定でお勤めに参じたと聞きます。
    しかし、欲しい人材とは言え他大学の学長にまで直談判するところに、あの山中教授のほとばしる熱意の一端を感じ取る事が出来ます。


    自身も愛読書として山中教授の半端ないスピリットを含め、いつも意味にふけっては感服して居ましたがその先生の薫陶を身近に受けたのが、正にこの松本桂久と言う方に他なりません。
    設計の密度の濃い打合せには常にタフなネゴシエーターの顔を見せる先生でしたが、ふと口にするのは「山中さんに仕込まれたんだ。」と言うセリフ。
    「Vision and Work hard!」、、、とても素敵な言葉です。


    緻密な戦術、大胆な戦略、果敢な行動力、そして何より関係者への細やかな気遣い、、、小さな文具ひとつ購入する際へこだわりやコスト意識の徹底などなど、仕事の作法は全てあの方に教わったんだと、と。今では完成したクリニックの待合にはさりげなく山中教授と肩を組んだ写真がひっそりと飾ってある事に気付く人は少ないかもしれません。



    いつの間にか、先生を中心として取り巻く多くのパートナーの心が一つになって取り組めたのは類稀な先生のリーダーシップ抜きでは語る事が出来ません。


    チームを構成するうえで関わる人材のポテンシャルを限界まで引き出そうとするそのパッションはあっぱれと言うほかは見当たらないのですが、関わった自分ですらも資質を極限まで引き出されたような虚脱感と快感に浸ったものです。
    そうか、うちの事務所もこう言うフォーメーションを完遂で出来る組織を目指そう!と目の前が開けた様にも感じたことを覚えています。

  • ~クライアントの声~

    設計のあるべき姿とは

    果たして、どこか描いて居た『整形』というキーワードに向かい合い、『関係者の其々のカタチを整える事が出来たのだろうか?』と言う問いへの結果は合格する事が出来たのでしょうか?
    何かしらは掴めた気はするのですが、本当の審判は時を経てまだ先の事になりそうです。


    設計と言う道なき道を進む中で、絶えず自分に問い質していた、スペシャリストが良いのかゼネラリストが良いのか?と言う漠然とした疑問に対する回答・・・については間違いなく幾つかのヒントを与えてくれた今回のプロジェクトでした。
    くだんの山中先生の生涯の友と言われた平尾誠二との会談は色々な意味で示唆に富んでいます。
    まさにラグビーで「ワンフォーオール」精神で取り組める機会を学べたものが何よりの弊社の財産となったことかと確信して居ます。


    今や開業して数年経過しますがいつ伺っても駐車場がいっぱいであるほどに人気のクリニックとなられた様で、松本先生が常に標榜されて居た患者さんに「寄り添う姿勢」と言うものが支持されているのだなと思わざるを得ません。
    同様に設計と言う業務も本来、とことんと顧客に寄り添う姿勢を持った『サービス業』であるべき、それもしみじみと痛感させて頂きました。



    竣工してから申し込んだ「碧南市都市景観賞」について計らずも佳作に入選した事も、関わらせて頂いた誇らしさに輪をかける事となりましたが、先生がプロデュースしたようなものですから「佳作ならぬ佳久作なんですよ!」と軽口を叩けるようになっていました(苦笑)。
    今だに松本先生は自身のとっても大切な恩人と言う存在です。

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